除此二人之外,我朝吴竹万代,尚有才人多在。能歌属文者,世世辈出。一如片丝之纺,络绎不绝。此前所作,代代歌谣,集而撰录者,所谓『万叶集』是也。
六、六歌仙
此处(ここ)に,古事(いにしへのこと)をも,歌心(うたのこころ)をも知(し)れる人(ひと),仅(わづ)かに一人(ひとり)、二人也(ふたりなり)き。しか(然)あれど,これかれ,得(え)たる所(ところ),得(え)ぬ所(ところ),互(たが)ひになむある。 斯(か)の御时(おほむよき)より此方(このかた),年(とし)は百年余(ももとせあま)り,世(よ)は十继(とつき)になむ,成(な)りにける。古事(いにしへのこと)をも,歌(うた)をも()知(し)れる人(ひと),咏(よ)む人(ひと)が多(おほ)からず。今(いま),此事(このこと)を言(い)ふに,官位高(つかさくらゐたか)き人(ひと)をば,容易(たやす)き样(やう)なれば入(い)れず。
其(そ)の他(ほか)に,近(ちか)き世(よ)に,其(そ)の名闻(なきこ)こえたる人(ひと)は,即(すなは)ち:
僧正遍照(そうじゃうへんぜう)は,歌态(うたのさま)は得(え)たれども,诚少(まことすく)なし。喻(たと)へば,絵(ゑ)に描(か)ける女(をうな)を见(み)て,徒(いたづら)に心(こころ)を动(うご)かすが如(ごと)し。[《浅绿丝縒(あさみどりいとよ)り挂(か)けて白露(しらつゆ)を玉(たま)にも拔(ぬ)ける春柳(はるのやなぎ)か。》《莲叶(はちすば)の浊(にご)りに染(し)まぬ心(こころ)もてなに(何)かは露(つゆ)を玉(たま)と欺(あざむ)く。》嵯峨野(さがの)にて马(むま)より落(お)ちて咏(よ)める,《名(な)に爱(め)でて折(お)れるばかりぞ女郎花(をみなへし)我落(あれお)ちにきと人(ひと)に语(かた)る莫(な)。》]
在原业平(ありはらのなりひら)は,其(そ)の心余(こころあま)りて,辞足(ことばた)らず。萎(しぼ)める花(はな)の,色无(いろな)くて,匂(にほ)ひ残(のこ)れるが如(ごと)し。[《月(つき)や有(あ)らぬ春(はる)や昔(むかし)の春(はる)ならぬ我(わ)が身(み)一(ひと)つは本(もと)の身(み)にして。》《大方(おほかた)は月(つき)をも爱(め)でじ之(これ)ぞ此积(このつも)もれば人(ひと)の老(お)いとなる物(もの)。》《寝(ね)ぬる夜(よ)の梦(いめ)を儚(はかな)み微睡(まどろ)めば弥儚(いやはかな)にも成(な)り增(ま)さる哉(かな)。》]
文屋康秀(ぶんやのやすひで)は,辞(ことば)は巧(たく)みにて,其(そ)の样身(さまみ)に追(お)はず。言(い)はば,贾人(あきびと)の,良(よ)き衣著(きぬき)たらむが如(ごと)し。[《吹(ふく)からに野边(のべ)の草木(くさき)の萎(しぼ)るればむべ山风(やまかぜ)を岚(あらし)と言(い)ふらむ。》深草帝(ふかくさのみかど)の御国忌(おほむこき)に,《草深(くさふか)き霞(かすみ)の谷(たに)に影隐(かげかく)し照(て)る日(ひ)の暮(く)れし今日(けふ)にやはあらぬ。》]
宇治山僧喜撰(うぢやまのそうきせん)は,辞微(ことばかす)かにして,初(はじ)め,终(おは)り,确(たし)かならず。言(い)はば,秋月(あきのつき)を见(み)るに,晓云(あかつき)に遇(あ)へるが如(ごと)し。[《我(わ)が庵(いほ)は都(みやこ)の辰巳(たつみ)しかぞ栖(す)む世(よ)を宇治山(うぢやま)と人(ひと)は言(い)ふ也(なり)。》]咏(よ)める歌(うた),多(おほ)く闻(きこ)えねば,斯(か)れ此(こ)れを通(かよ)はして,良(よ)く知(し)らず。
小野小町(をののこまち)は,古(いにしへ)の衣通姬(そとほりひめ)の流也(りうなり)。怜(あは)れなる样(やう)にて,强(つよ)からず。言(い)はば,良(よ)き女(をうな)の,恼(なや)める所有(ところあ)るに似(に)たり。强(つよ)からぬは,女(をうな)の歌(うた)なればなるべし。[《思(おも)ひつつ寝(ぬ)ればや人(ひと)の见(み)えつらむ梦(ゆめ)と知(し)りせば醒(さ)めざら益(まし)を。》《色见(いろみ)えで移(うつ)ろふ物(もの)は世中(よのなか)の人(ひと)の心(こころ)の花(はな)にぞありける。》《诧(わ)びぬれば身(み)を浮草(うきくさ)の根(ね)を绝(た)えて诱(さそ)ふ水(みづ)あらば去(い)なむとぞ思(おもふ)。》衣通姬(そとほりひめ)の歌(うた),《我(わ)が夫子(せこ)が来(く)べき宵也(よひなり)小蟹(ささかに)の蜘蛛(くも)の振舞予(ふるまひかね)て著(しる)しも。》]