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【和歌】古今和歌集(中日对照)浦木裕译版

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复制粘贴好了= =有现成的妾身为啥要自个折腾呢……
妾身= =?


1楼2010-10-25 11:46回复
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    3楼2010-10-25 11:50
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         力(ちから)をも要(い)れずして,天地(あめつち)を动(うご)かし,目(め)に见(み)えぬ鬼神(おにがみ)をも哀(あは)れと思(おも)はせ,男女(をとこをんな)の仲(なか)をも和(やは)らげ,彪(たけ)き武士(もののふ)の心(こころ)をも慰(なぐさ)むるは,歌也(うたなり)。
         夫和歌者,其托根於心地,而发华於词林也。人生在世,不能无为。或为人、事、业之所感,以其心思所至,谕於见闻万物,而吟形於言也。夫闻花上莺鸣、水栖蛙声,生息之人,孰不赋歌。
         不假外力,即可动天地、感鬼神、和夫妇、慰武士者,和歌也。
      二、起源论
         此歌(このうた),天地(あめつち)の开(ひら)け始(はじま)りける时(とき)より,居(い)できにけり。〔天浮桥(あまのうきはし)の下(した)にて,女神男神(めがみをがみ)と成(な)り给(たま)へる事(こと)を言(い)へる歌也(うたなり)。]然(しか)あれども,世(よ)に伝(つた)はる事(こと)は,久方(ひさかた)の天(あめ)にしては,下照姬(したてるひめ)に始(はじま)り[下照姬(したてるひめ)とは,天稚彦(あめわかひこ)の妻也(めなり),兄(せうと)の神(かみ)の形(かたち),岗谷(をかたに)に移(うつ)りて,辉(かかや)くを咏(よ)める夷歌(えびすうた)なるべし,此(こ)れ等(ら)は文字(もじ)の数(かず)も定(さだ)まらず,歌(うた)の样(やう)にも有(あ)らぬ事(こと)ども也(なり)。]荒(あら)かねの土(つち)にては,素戋鸣尊(すさのをのみこと)よりぞ,兴(おこ)りける。
         千早振(ちはやぶ)る神代(かみよ)には,歌(うた)の文字(もじ)も定(さだ)まらず,素直(すなほ)にして,言(こと)の心(こころ)わき难(がた)かりけらし。人世(ひとのよ)と成(な)りて,素戋鸣尊(すさのをのみこと)よりぞ,三十文字余(みそもじあま)り一文字(ひともじ)は咏(よ)みける。[素戋鸣尊(すさのをのみこと)は,天照孁贵神(あまてらすおほんかみ)の弟神也(をとかみなり)。【原文(もとぶみ)ハ兄神(このかみ)ナリ。记纪(きき)ヨリ改(あらため)ス。】女(をむな)と住给(すみたま)はむとて,出云国(いづものくに)に宫造(みやづく)りし给(たま)ふ时(とき)に,其(そ)の所(ところ)に八色云(やいろのくも)の立(た)つを见(み)て咏(よ)み给(たま)へる也(なり)。《八云立(やくもた)つ出云八重垣(いづもやへがき)妻笼(つまご)めに八重垣作(やへがきつく)る其(そ)の八重垣(やへがき)を。》]
         斯(か)くてぞ,花(はな)を爱(め)で,鸟(とり)を羡(うらや)み,霞(かすみ)を哀(あは)れび,露(つゆ)を悲(かな)しぶ心(こころ),辞多(ことばおお)く,样样(さまざま)に成(な)りにける。远(とほ)き所(ところ)も,居(い)で立(た)つ足元(あしもと)より始(はじま)りて,年月(としつき)を渡(わた)り,高(たか)き山(やま)も,麓(ふもと)の尘泥(ちりひぢ)より成(な)りて,天云棚引(あまくもたなび)く迄生(までお)ひ升(のぼ)れる如(ごと)くに,此歌(このうた)も,斯(か)くの如(ごと)く成(な)るべし。
         难波津(なにはづ)の歌(うた)は,帝(みかど)の御始(おほんはじ)め也(なり)。[大鹪鹩帝(おほささぎのみかど)の,难波津(なにはづ)にて皇子(みこ)と闻(きこ)えける时(とき),东宫(みこのみや)を互(たが)ひに让(ゆづ)りて,位(くらゐ)に即(つ)き贮(たま)はで,三年(みとせ)になりにければ,王仁(わに)と言(い)ふ人(ひと)の讶(いぶか)り思(おも)ひて,咏(よ)みて奉(たてまつ)りける歌也(うたなり),此花(このはな)は梅(むめ)の花(はな)を言(い)ふなるべし。]
         安积山(あさかやま)の辞(ことば)は,采女(うねめ)の戏(たはぶ)れより咏(よ)みて,[葛城王(かづらきのおほきみ)を陆奥(おく)へ遣(つか)はしたりけるに,国司(くにのつかさ),事麤末(ことおろそ)かなりとて,设(まう)けなどしたりけれど,すさまじかりければ,采女(うねめ)なりける女(をむな)の,土器取(かはらけと)りて咏(よ)める也(なり),これにぞ王(おほきみ)の心溶(こころと)けにける。《安积山(あさかやま)影(かげ)さへ见(み)ゆる山(やま)の井(ゐ)の浅(あさ)くは人(ひと)を思(おも)ふのもかは。》]此二歌(このふたうた)は,歌(うた)の父母(ちちはは)の样(やう)にてぞ,手习(てなら)ふ人(ひと)の始(はじ)めにもしける。
      


      16楼2011-02-14 12:43
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           又,见春晨之散花,闻秋夕之落叶。或年年揽镜自照,而叹发白之若雪、肤皱之犹浪。或见草露、水泡,而惊吾身之虚渺。或诧昨日荣华而今日失时,亦怨往日亲友,今日相疏。或以松山之浪,谕情爱之盟誓。或汲野中之水,劳老人之怀旧。或眺秋萩之下叶,哀叹孤身之独寝。或数晓鴫搔羽,待伊人之归来。或咏吴竹忧节,述人世之悲苦。或以吉野川河,怨红尘之儚幻。此筹之类,见於古歌。时值今日,虽富士山之云烟不复涌矣,长柄桥之所建不复存矣。然闻事者,唯咏和歌,能慰心性也。
        五、歌圣评
           古(いにしへ)より,斯(か)く传(つた)はる中(うち)にも,奈良(なら)の御时(おほむとき)よりぞ,广(ひろ)まりにける。斯(か)の御世(おほむよ)や,歌(うた)の心(こころ)を知(し)ろし召(め)したりけむ。
           斯(か)の御时(おほむとき)に,正三位(おほきみつのくらゐ),柿本人麿(かきのもとのひとまろ)なむ,歌(うた)の圣(ひじり)なりける。此(こ)れは,君(きみ)も人(ひと)も,身(み)を合(あ)はせたりと言(い)ふなるべし。秋(あき)の夕(ゆふべ),龙田河(たつたがは)に流(なが)るる红叶(もみぢ)をば,帝(みかど)の御目(おほむめ)に,锦(にしき)と见给(みたま)ひ。春(はる)の晨(あした),吉野山(よしののやま)の樱(さくら)は,人麿(ひとまろ)が心(こころ)には,云(くも)かとのみなむ觉(おぼ)えける。
           又(また),山边赤人(やまのべのあかひと)と言(い)ふ人有(ひとあ)りけり。歌(うた)に奇(あや)しく,妙(たへ)なりけり。
           人麿(ひとまろ)は赤人(あかひと)が上(かみ)に立(た)たむ事难(ことかた)く,赤人(あかひと)は人麿(ひとまろ)が下(しも)に立(た)たむ事难(ことかた)くなむ有(あ)りける。[奈良帝(ならのみかど)の御歌(おほむうた),《龙田河(たつたがは)红叶(もみぢ)乱(みだ)れて流(なが)るめり渡(わら)らば锦中(にしきなか)や绝(た)えなむ。》人麿(ひとまろ),《梅花(むめのはな)其(そ)れとも见(み)えず久方(あさかた)の天雾(あまぎ)る雪(ゆき)のな(并)べて降(ふ)れれば。》《仄仄(ほのぼの)と明石(あかし)の浦(うら)の朝雾(ああぎり)に嶋隐(しまがく)れ行舟(ゆくくふね)をしぞ思(おも)ふ。》赤人(あかひと),《春野(はるのの)に堇摘(すみれつ)みにと来(こ)し我(われ)ぞ野(の)を怀(なつ)かしみ一夜寝(ひとよね)にける。》《和歌浦(わかのうら)に潮满(しほみ)ち来(く)れば泻(かた)を无(な)み苇辺(あしべ)を指(さ)して鹤鸣(たづな)き渡(わた)る。》]
           此人人(このひとびと)を置(お)きて,又优(またすぐ)れたる人(ひと)も,吴竹(くれたけ)の世世(よよ)に闻(きこ)え,片丝(かたいと)の縒縒(よりよ)りに绝(た)えずぞありける。之(これ)より先(さき)の歌(うた)を集(あつ)めてなむ,万叶集(まんえうしふ)と名付(なづ)けられたりける。
           自古传今者,以奈良御世,流传尤广。盖彼帝御世,最得和歌之趣欤。
           斯时,有正三位柿本人麿者,歌圣是也。此是君臣齐心,合身戮力,共铸大业之谓也。秋日夕暮,龙田河中,红叶流漂。映於帝目,如视锦织。春日曙晨,吉野山间,山樱满开。感於麿心,犹观云霞。
           又有山边赤人者。其歌奇玄,高振神妙。
           人麿既不立赤人之上,赤人亦不居人麿之下。是伯仲之间,并和歌仙也。[奈良帝御歌,《龙田河红叶乱れて流るめり渡らば锦中や绝えなむ。【龙田川间枫红溢   红叶乱漂犹若锦   唯恐强渡坏锦绣。】》人麿,《梅花それとも见えず久方の天雾る雪のなべて降れれば。【梅花难辨不得觅   只缘雪降久方天   形似迷雾漫眼帘。】》《ほのぼのと明石の浦の朝雾に嶋がくれ行舟をしぞ思ふ。【仄仄天曙明石浦   舟隐岛荫朝雾弥   吾眺孤舟心万绪。】》赤人,《春の野に堇摘みにと来し我ぞ野を怀かしみ一夜寝にける。【为摘堇兮来春野   吾心暮野寄流连   不忍诀离留一宿。】》《和歌の浦に潮满ちくれば泻をなみ苇辺をさして鹤鸣き渡る。【潮汐满盈和歌浦   既失干泻指岸翔   鹤渡苇边发声鸣。】》]
        


        20楼2011-02-14 12:43
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             除此二人之外,我朝吴竹万代,尚有才人多在。能歌属文者,世世辈出。一如片丝之纺,络绎不绝。此前所作,代代歌谣,集而撰录者,所谓『万叶集』是也。
          六、六歌仙
             此处(ここ)に,古事(いにしへのこと)をも,歌心(うたのこころ)をも知(し)れる人(ひと),仅(わづ)かに一人(ひとり)、二人也(ふたりなり)き。しか(然)あれど,これかれ,得(え)たる所(ところ),得(え)ぬ所(ところ),互(たが)ひになむある。    斯(か)の御时(おほむよき)より此方(このかた),年(とし)は百年余(ももとせあま)り,世(よ)は十继(とつき)になむ,成(な)りにける。古事(いにしへのこと)をも,歌(うた)をも()知(し)れる人(ひと),咏(よ)む人(ひと)が多(おほ)からず。今(いま),此事(このこと)を言(い)ふに,官位高(つかさくらゐたか)き人(ひと)をば,容易(たやす)き样(やう)なれば入(い)れず。
             其(そ)の他(ほか)に,近(ちか)き世(よ)に,其(そ)の名闻(なきこ)こえたる人(ひと)は,即(すなは)ち:
             僧正遍照(そうじゃうへんぜう)は,歌态(うたのさま)は得(え)たれども,诚少(まことすく)なし。喻(たと)へば,絵(ゑ)に描(か)ける女(をうな)を见(み)て,徒(いたづら)に心(こころ)を动(うご)かすが如(ごと)し。[《浅绿丝縒(あさみどりいとよ)り挂(か)けて白露(しらつゆ)を玉(たま)にも拔(ぬ)ける春柳(はるのやなぎ)か。》《莲叶(はちすば)の浊(にご)りに染(し)まぬ心(こころ)もてなに(何)かは露(つゆ)を玉(たま)と欺(あざむ)く。》嵯峨野(さがの)にて马(むま)より落(お)ちて咏(よ)める,《名(な)に爱(め)でて折(お)れるばかりぞ女郎花(をみなへし)我落(あれお)ちにきと人(ひと)に语(かた)る莫(な)。》]
             在原业平(ありはらのなりひら)は,其(そ)の心余(こころあま)りて,辞足(ことばた)らず。萎(しぼ)める花(はな)の,色无(いろな)くて,匂(にほ)ひ残(のこ)れるが如(ごと)し。[《月(つき)や有(あ)らぬ春(はる)や昔(むかし)の春(はる)ならぬ我(わ)が身(み)一(ひと)つは本(もと)の身(み)にして。》《大方(おほかた)は月(つき)をも爱(め)でじ之(これ)ぞ此积(このつも)もれば人(ひと)の老(お)いとなる物(もの)。》《寝(ね)ぬる夜(よ)の梦(いめ)を儚(はかな)み微睡(まどろ)めば弥儚(いやはかな)にも成(な)り增(ま)さる哉(かな)。》]
             文屋康秀(ぶんやのやすひで)は,辞(ことば)は巧(たく)みにて,其(そ)の样身(さまみ)に追(お)はず。言(い)はば,贾人(あきびと)の,良(よ)き衣著(きぬき)たらむが如(ごと)し。[《吹(ふく)からに野边(のべ)の草木(くさき)の萎(しぼ)るればむべ山风(やまかぜ)を岚(あらし)と言(い)ふらむ。》深草帝(ふかくさのみかど)の御国忌(おほむこき)に,《草深(くさふか)き霞(かすみ)の谷(たに)に影隐(かげかく)し照(て)る日(ひ)の暮(く)れし今日(けふ)にやはあらぬ。》]
             宇治山僧喜撰(うぢやまのそうきせん)は,辞微(ことばかす)かにして,初(はじ)め,终(おは)り,确(たし)かならず。言(い)はば,秋月(あきのつき)を见(み)るに,晓云(あかつき)に遇(あ)へるが如(ごと)し。[《我(わ)が庵(いほ)は都(みやこ)の辰巳(たつみ)しかぞ栖(す)む世(よ)を宇治山(うぢやま)と人(ひと)は言(い)ふ也(なり)。》]咏(よ)める歌(うた),多(おほ)く闻(きこ)えねば,斯(か)れ此(こ)れを通(かよ)はして,良(よ)く知(し)らず。
             小野小町(をののこまち)は,古(いにしへ)の衣通姬(そとほりひめ)の流也(りうなり)。怜(あは)れなる样(やう)にて,强(つよ)からず。言(い)はば,良(よ)き女(をうな)の,恼(なや)める所有(ところあ)るに似(に)たり。强(つよ)からぬは,女(をうな)の歌(うた)なればなるべし。[《思(おも)ひつつ寝(ぬ)ればや人(ひと)の见(み)えつらむ梦(ゆめ)と知(し)りせば醒(さ)めざら益(まし)を。》《色见(いろみ)えで移(うつ)ろふ物(もの)は世中(よのなか)の人(ひと)の心(こころ)の花(はな)にぞありける。》《诧(わ)びぬれば身(み)を浮草(うきくさ)の根(ね)を绝(た)えて诱(さそ)ふ水(みづ)あらば去(い)なむとぞ思(おもふ)。》衣通姬(そとほりひめ)の歌(うた),《我(わ)が夫子(せこ)が来(く)べき宵也(よひなり)小蟹(ささかに)の蜘蛛(くも)の振舞予(ふるまひかね)て著(しる)しも。》]
          


          21楼2011-02-14 12:43
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               大友黑主(おほとものくろぬし)は,其(そ)の态(さま),卑(いや)し。言(い)はば,薪负(たきぎお)へる山人(やまびと)の,花荫(はなのかげ)に休(やす)めるが如(ごと)し。[《思出(おもひい)でて恋(こひ)しき时(とき)は初雁(はつかり)の鸣(な)きて渡(わた)ると人(ひと)は知(し)らず哉(かな)。》《镜山(かがみやま)去来(いざ)立寄(たちよ)りて见(み)て行(ゆ)かむ年经(としへ)ぬる身(み)は老(お)いやしぬると。》]
               此他(このほか)の人人(ひとびと),其(そ)の名闻(なき)ゆる,野边(のべ)に生(お)ふる葛(かづら)の,这广(はひひろ)ごり,林(はやし)に茂(しげ)き木叶(このは)の如(ごと)くに多(おほ)かれど,歌(うた)とのみ思(おも)ひて,其(そ)の态知(さまし)らぬなるべし。
               观夫奈良当代,虽盛况如此,能在古风,而得歌趣者,才一二人而已。且其长短不同,得失各异,论以可辨。自彼至今,年愈百余,世过十继。在於近代,知晓古事,通达和歌,且能赋之者,其数不多矣。不佞今将论之。然今輙论位高之人,恐有流於轻率之失,故不予列也。自余,闻名近世者,是即:
               僧正遍照,尤得歌体,而词华少实。如观画中好女,徒动人情。[《浅绿丝縒り挂けて白露を玉にも拔ける春柳か。【浅绿新叶若犹丝   莹莹白露当似玉   春日碧柳可怜矣。】》《莲叶の浊りに染まぬ心もて何かは露を玉と欺く。【莲出浊泥淤不染   君既志高一如斯   何欺白露比玉人。】》嵯峨野落马所咏,《名に爱でて折れるばかりぞ女郎花我落ちにきと人に语る莫。【慕名感念心折伏   美哉妍哉女郎花   吾墬马事莫语人。】》]
               在原业平,其情有余,而词彩不足。如萎花虽少彩色,而尚有余薰。[《月や有らぬ春や昔の春ならぬ我が身一つは本の身にして。【月非昨年春异昔   物换星移人事非   独吾身者仍无易。】》《大方は月をも爱でじ之ぞ此积もれば人の老いとなる物。【大抵吾人亦翫月   每赏月者徒积年   惆怅年岁催人老。】》《寝ぬる夜の梦を儚み微睡めば弥儚にも成り增さる哉。【共寝夜虽渺如梦   岂知起身方归时   儚情更起涌心头。】》]
               文屋康秀,其词高巧,而体不能及。如贾人之著鲜衣。[《吹からに野边の草木の萎るればむべ山风を岚と言ふらむ。【风吹野边草木折   摇曳倾倒状荒乱   是以山风谓之岚。】》深草帝御国忌之际,《草深き霞の谷に影隐し照る日の暮れし今日にやはあらぬ。【悲隐深草峡谷间   照日快情天和煦   天候非时今哀恸。】》]
               宇治山僧喜撰,其词华丽,而首尾停滞。如望秋月而遇晓云。[《我が庵は都の辰巳しかぞ栖む世を宇治山と人は言いふ也。【吾庵坐都辰巳方   栖之生息在宇治   人云宇治也忧里。】》]彼所咏歌,鲜为人闻,只观斯曲,难得其详。
               小野小町,古衣通姬之流也。然爱怜而无气力。譬犹美人之有忧思。盖无气力者,女歌之谓欤。[《思ひつつ寝ればや人の见えつらむ梦と知りせば醒めざらましを。【日思夜寝梦伊人   若知此身在梦中   当欲永眠不舍哉。】》《色见えで移ろふ物は世中の人の心の花にぞありける。【花色乃随时移迁   何物无色仍易改   此谓天下世人心。】》《诧びぬれば身を浮き草の根を绝えて诱ふ水あらば去なむとぞ思ふ。【诧暮妾身若浮草   无根遇水任漂流   如逢相邀盖依乎。】衣通姬之歌,《我が夫子が来べき宵也小蟹の蜘蛛の振舞予て著しも。【此是夫君将临夕   蜘蛛蟹振舞笹根   今宵见之更萦心。】》]
            


            22楼2011-02-14 12:43
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              求大神发邮箱,1009275942@qq.com。谢谢🙏谢谢🙏


              来自iPhone客户端41楼2017-09-28 08:30
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                求大师发邮箱362539409@qq.com


                42楼2018-12-19 20:49
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