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两位日本读者对《高栈敷》的理解

只看楼主收藏回复

在他们各自的个人博客上看到的。不懂日文,只能看机翻勉强理解,整理后带点个人想法,楼下发
有误的地方请指正,镜花厨勿来喷,先行谢过


IP属地:广东1楼2020-01-22 01:06回复
    「1」关于角色和一些剧情
    高栈敷上的女性让人感觉并非来自人类生活的现世(相对于异界、魔界等),且高贵而难以接近。泉镜花笔下的(现世的)女人不会是这样谜一般的存在(无法判断是人是妖还是神),所以她不是女人的象征。她可能是八百万神之一。
    主人公是成年男子,身上已沾满污秽。无数的蛇似乎形成了结界,使人类无法接近高栈敷之女,保护其的贞洁。
    ——这个“污秽”和“贞洁”,我觉得不能理解为男人打手铳和与女人发生性关系。更多是种象征,现世的人类是不洁的、心性低劣的。
    也许还有人类外形的蛇(鼓捣鱼筐的人)——这是最接近现世的蛇,所以安排他应对主人公这样误入的人。
    到底是谁买蛇?可能是结界的另一侧的事了。渔夫在现世说吃蛇和卖蛇,吃蛇和卖蛇却都不在现世。
    这就是镜花世界的醍醐味了:日常之中,便有异界和魔界。不需要安排一个超出日常的疯狂角色,不用管读者心中是否有那个幻想的世界。
    高栈敷之女就待在那里,离主人公很远的那里。她甚至一直没有注意到他,后来甚至不在视线范围内。主人公只是偶然目睹,没有跨越结界,因此结局时他没有被杀。
    结界另一侧是绝对的禁区,没有人可以进入,这个权力谁也没有——这可能是旧时人们内心一种纯洁的感觉,但这样的日子已经被封存起来,隐没在黑暗之中了。
    「2」关于故事上演的舞台
    谷町是一种地形的通称,但鮫河橋北侧地区在旧时也被称为谷町。
    泉镜花上京拜师时,住所不远处就是当时东京四大贫民街之一的鮫河橋,当时还写了一本叫《贫民俱乐部》的小说。
    东京一带坐拥许多谷町。当然,随着大规模的都市化,残存的谷町已经仿佛异界了。
    明治39年到41年间,泉镜花为了疗养胃病,和妻子住在逗子。逗子位于三浦半岛西岸的谷町地区,东靠横须贺的谷町。不知道他是否看过横须贺的谷町风景,但他一定记得这个半岛上的谷町景色。
    明治44年,《高栈敷》发表。
    「3」总的来讲,可以理解为对明治维新和大规模工业化之前生活的怀念,对结界另一侧的敬畏……这样说好像很没意思,个中滋味还是在《高栈敷》文中吧。


    IP属地:广东2楼2020-01-22 01:08
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      原文链接、原文和机翻迟些整理好会贴过来,看不懂怎样在那边注册和私信怎样说,总之仅供吧内学习交流使用,不行的话会删掉只留下链接


      IP属地:广东3楼2020-01-22 01:12
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        http://michirou.cocolog-nifty.com/fuzai/2008/12/post-681b.html
        博客名:路地散策。いつかいた街。
        标题:高桟敷
        作者:イチロー(石渡伊知郎)
        日期:2008年12月7日
        -
        泉鏡花は好きだが、良き読者ではない。
        我喜欢泉镜花,但我不是一个好读者。
        -
        読んだのは「浅茅生」、「紫障子」など怪談系短編を数編ほど。
        有名な「高野聖」や「歌行燈」などは、未だに読んでない。
        「草迷宮」(横須賀の秋谷が舞台だ)はほんの数頁で眠くなり、
        それから、長いあいだ忘れたまま。
        我读过几篇怪谈系的短篇小说,例如《浅茅生》和《紫障子》。
        我还没有读过有名的《高野圣僧》或《歌行灯》。
        《草迷宮》(以横须贺市秋谷市为舞台)睡了几页,
        然后就忘记了很长时间。
        -
        谷戸歩きを始めてしばらく経ったある晩、読み物に窮して短編集をめくると、冒頭の作品が「高桟敷(たかさじき)」だった。
        これはかなり昔に読んで、なかなか良かった記憶がある。
        読みづらい擬古文体が多い鏡花の作品の中では、まあ読みやすいほうだ。
        一个晚上,我开始在谷戸周围走走。因为阅读困难,我转向了一本短篇集,第一篇是「高桟敷」。
        我很久以前就读过这篇文章,并且记得很清楚。
        在镜花的作品中,有许多难以理解的拟古文体,它们很容易阅读。
        -
        読み直してみると、これが谷戸の路地を描いた作品だったと、はじめて気付いた。
        「もし、其処は突き当りではございません、抜けられますよ。」
        重新阅读时,我第一次意识到这是一部描绘谷户胡同(巷子?)的作品。
        “如果还没有结束,那就可以过去。”
        -
        物語は黄昏どき。
        ある青年が、散歩がてらに迷い込んだ長屋街の一角から始まる。(”谷町辺”という記述がある。)
        付近にはボロ長屋が建ち並び、家々の裏手はガケになっている。
        女房衆にそこの路地裏は「抜けられる」と云われて入って行くと、ガケの樹々の間に張り出した上町(うわまち)の一軒家に出くわす。
        空き家かと思えば、遥か頭上の座敷に若い女の姿がある。
        故事发生在黄昏。
        一名年轻男子从长屋街的一角开始,在散步时迷了路。(书上有“谷町边”的描述。)
        附近有破烂的排屋,房屋的背面也坏了。
        当女房众说后巷是“可过去的”时,他遇到了一座植树茂盛的植村屋。
        如果您认为这是一间空置的房子,那么头上远远的地方有一个年轻的女人。
        -
        相変わらず文体には難儀させられるが、じっくり読めば上町を仰ぐ谷戸のどん詰まりがステージだとわかる。
        これは、何よりも地形ー空間構造にまつわる幻想譚なのだ。
        与往常一样,问题仍然很困难,但是如果仔细阅读,您会发现舞台是谷户俯瞰上町的狭窄街区。
        最重要的是,这是关于地形空间结构的幻想。
        -
        若くして上京した鏡花は尾崎紅葉の書生として東京の牛込に住んでいる。
        さほど遠くない場所に、当時東京の4大貧民街の一つとされた鮫河橋(さめがはし)があった。
        そこに題材をとった「貧民倶楽部」という小説も書いている。
        現在はもちろん昔日の面影は無い。
        ”若葉の谷”とも言われた窪地-、新宿区若葉町~南元町界隈だ。
        早年上京的镜花,以尾崎红叶的学生身份居住在东京牛込。
        不远处就是当时是东京四大贫民街之一的鮫河橋。
        他还写了一本名为《贫民俱乐部》的小说。
        当然,今天没有让人想起过去。
        久保地,又名“若叶谷”,位于新宿区若叶町和南本町之间。
        -
        高桟敷に出てくる「谷町」は、地形を示す一般名とも取れるが、
        鮫河橋の北側の旧名も「谷町」と呼ばれていた。
        《高桟敷》中出现的“谷町”是表示地形的通称,但鮫河橋北侧在旧时也被称为“谷町”。
        -
        江戸~東京は浅いながら、谷戸地形を多く含んだ土地なのである。
        もちろん、現在は大規模な都市化が進んでいるが、コンクリートの
        下には異界の谷戸がある。
        江户到东京虽然浅浅,但拥有许多谷户地形。
        当然,现在大规模的都市化进程,但是混凝土之下有一个异界谷户。
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        再び読み終え、鏡花の年表を繰っていると面白い事実に行き当たった。
        再次阅读后,我按照镜花的年表发现了一个有趣的事实。
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        鏡花と妻すずは、鏡花の胃病の療養をかねて明治39年から41年にかけ、逗子に住んでいる。
        「婦系図」、「春昼」、「草迷宮」等はそこで執筆された。
        逗子、葉山地区は三浦半島の西岸の谷戸地域であり、東側の横須賀の谷戸とは背中合わせにある。
        彼が横須賀の谷戸風景をみたかどうかは、もちろんわからない。
        ただ、彼の記憶にはこの半島の谷戸風景もあったはずである。
        镜花和他的妻子Suzu在明治39年至明治41年间居住在逗子,以恢复镜花的胃病。
        在那里写了《妇系图》、《春昼》、《草迷宫》等。
        逗子和叶山地区位于三浦半岛西岸的谷户地区,东侧是横须贺的谷户。
        我不知道他是否看到过横须贺的谷户风景。
        但是,他一定记得这个半岛上的谷户风景。
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        鏡花はその後麹町六番町に移って、亡くなるまでの30年間を過ごした。
        镜花随后移居到小町六番町,并度过了30年之久。
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        「高桟敷」は、明治44年に発表された小さな傑作である。
        《高栈敷》是明治44年发表的小型杰作。


        IP属地:广东5楼2020-01-22 14:21
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          https://ameblo.jp/mnolupin-0705/entry-12323551924.html
          博客名:鏡花恋情、時々、テネシー・ウィリアムズ、山田太一その他、戯作三昧
          标题:蛇は…(蛇是……)
          作者:鏡花狂い
          日期:2017-10-28 13:37:47
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          民俗学云々に寄り道して、本題に入らなかった。
          我因民俗学而停下脚步,没有涉足这个话题。
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          さて、「高桟敷」の蛇は… 性的な接近への禁忌を示すのだろう。高桟敷の女(め)の童(わらわ)も、主(あるじ)の女も、見てはいけない異界の者であり、もし、さらに近づこうとするなら、蛇たちの責め苦を受ける。それでも、行くか?
          顺便说一句,《高栈敷》的蛇……将是性接触的禁忌。高栈敷的女童和女主人都是不容忽视的异界者,如果试图靠近,会遭受蛇的折磨。还要说下去吗?
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          という問いと警告である。性的な接近…と決めつけた言い方をしたのは、高桟敷の“あれ”を目撃し、患い就いたのは…今、手元に原本が無いのだが…男ばかりのはずで。
          这是一个问题兼警告。我决定说我正在接近性,因为我在高栈敷目睹了“那个”,而且我病了……现在我没有原著,但我想他只是个男人。
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          ここで、連想するのは漱石の「夢十夜」の、豚に舐められるという、あの一話だ。あちらは、滑稽と不条理とが見え隠れする。その対象は、近代的自我では掴まえ切れない「女」の本性である。
          在这里,我联想到漱石的《梦十夜》,讲的是一个被猪舔的故事。在那里,幽默和荒诞出现和消失。对象是近代的自我无法把握的“女人”的本性。
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          しかし、「高桟敷」の対象は、異類異形でありながら、近づいてはいけない高貴な… 八百万の神々の内の一人かも知れない。鏡花にとっては、女一般は、漱石にとってのように謎ではない。だから、女を象徴化などしない
          然而,《高栈敷》的对象是异类的,但又难以接近的高贵……她可能是八百万神之一。对于镜花来说,女人一般不像漱石的那样神秘。所以不是象征化的女人。
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          高桟敷に住む女主(おんなあるじ)は、ここにしかいない個別の存在であり、おそらく、その“貞操”は数多の蛇たちによって守られている。いや、蛇たちだけではなく、ひひもいれば、人の姿をした配下の者たちもいるか?だが、最も人間界に近く、その境界で人を寄せ付けないのは蛇たちだ。
          住在高栈敷的女主人只有在这里才是唯一的实体,也许她的“贞操”受到许多蛇的守护。不,不只是蛇,还有被绑上人类外貌的下属吗?但这是最接近人类界并让人们靠近境界线的蛇。


          IP属地:广东6楼2020-01-22 14:41
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            https://ameblo.jp/mnolupin-0705/entry-12343941831.html
            博客名:鏡花恋情、時々、テネシー・ウィリアムズ、山田太一その他、戯作三昧
            标题:「絵本の春」と「高桟敷」の相違点は…(《绘本之春》和《高栈敷》的区别是……)
            日期:2018-01-12 17:28:10
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            「絵本の春」を読み終えた朝の通勤電車を降りて、職場までの道を歩きながら気付いた。「高桟敷」と道具立てが共通している。
            这是我在读完《绘本之春》后,下了早上的通勤电车,走去办公室的路上时意识到的。和《高栈敷》的道具(写作安排?)有相同点。
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            逢魔が時での、この世の者ではないらしい女との遭遇。人間が近づかぬよう結界を張るかに見える無数の蛇。
            ならば、何が違うのか?
            第一は主人公の年齢。「絵本の春」は七つの少年。「高桟敷」は成人の男。
            女との距離感も異なる。「絵本…」の女は少年に草双紙の絵解きをしてあげようと言うが、「高桟敷」の女は、そこに居たまま、男には近づかないし、そもそも気付いていない。見えてもいないかも知れない。
            都与似乎并非来自这个世界的女子相遇了。无数的蛇似乎张开结界,使人类无法接近。
            那么不同点是什么呢?
            第一是主人公的年龄。《绘本之春》是七个少年。《高栈敷》是成年男子。
            与女子的距离感也不同。《绘本……》中的女子要求少年解开草双纸,而《高栈敷》中的女子则待在那里,远离男人,甚至从不注意他。甚至可能看不到他。
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            成人の男の前には禁忌があるが少年にはない。何故か?
            まあ月並みに言えば、無垢かどうか?だろう。男はもう既に様々な汚れを身にまとってしまっている。
            成年男子在之前有禁忌症,但少年没有。为何?
            好吧,如果您每月说一次,那是无辜的吗?会的。这个男人已经穿着各种污渍。
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            月並みついでに、リアリスト鏡花先生には一笑に付されるだろう馬鹿話をひとつ。
            顺便说一个会让现实主义者镜花先生发笑的愚蠢的故事。
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            長女が二つか三つの頃、私はある私立学校の教員だったのだが、ある夏休み、生徒たちのいない校舎を三輪車に乗る長女と見回りをしていた。と、ある教室の前で、誰もいない壁に向かって、長女がバイバイと手を振った。暫くしたのち、長女に「さっき、なんでバイバイしてたの?」と聞くと「知らないお姉ちゃんがバイバイしてたから」と返してきた。その教室のクラスの生徒の一人は、数ヶ月前に、ある不幸な亡くなり方をしていた。私は何となくではあるが、しかし、直ぐに合点が行き、ああ成仏したのか…と。
            当我的长女两三岁时,我是一所私立学校的老师,在暑假里,我正在一所没有学生的校舍里看一辆三轮车。在教室前面,长女对着空荡的墙摆手。过了一会儿,我问我的长女:“你刚刚为什么再见?”她说:“和一个不认识的姐姐再见。”几个月前,教室里的一名学生不幸死亡。我有点不知所措,但我马上就明白了,她成佛了吗?
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            鏡花の読み手としても、下等でお粗末な“体験”である。
            で、合点したのは、もう一つ。長女には見えたが、自分には見えないんだろうなと。
            成仏し、今生にスッパリと別れを告げた、その10代の少女が見えるためには、自分が今、色々と余計に身につけてしまった芥を落とさなければ無理なのだろうな…と、いたく納得してしまったのだった。
            作为镜花的读者,这是一种可怜的“体验”。
            和她在一起的不是我。长女看见了她,我想我没有看见。
            我坚信,为了成佛看到那个十几岁的女孩并向这位学生说再见,如果不丢弃穿的多余垃圾,将是不可能的……我非常确信。


            IP属地:广东7楼2020-01-22 15:14
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              https://ameblo.jp/mnolupin-0705/entry-12371027991.html
              博客名:鏡花恋情、時々、テネシー・ウィリアムズ、山田太一その他、戯作三昧
              标题:「高桟敷」再々読(再读《高栈敷》)
              作者:鏡花狂い
              日期:2018-04-25 07:26:12
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              明治44年作 短篇。 しばらく、鏡花作品の中でもとりわけ気に入っているものの再読又は再々読に浸ろうかと。
              明治44年作的短篇。有一阵子,我尝试重新阅读最喜欢的镜花作品。
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              本作も然り。
              「茸の舞姫」と同様、微細な点は忘れているし、記憶違いもある。
              記憶違いの一つは、一人の女の侍従らしい女の童(めのわらわ)二人について。
              本作也不例外。
              就像看《茸の舞姫》一样,我忘记了细节,但记忆有所不同。
              记忆的差异之一是似乎有两个女童是一个女人的仆人。
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              二人とも京人形のような出で立ちと思っていたが、小坊主であり、頭は青々と剃っているのである。そうして、こちらを見下ろす時に、散歩中の若い男は女の童と分かるのだ。
              当然、男とは目が合っているわけで、… 鏡花はそれ以上、書かない。想像するに、二人は無表情だろう。これは怖い。映画「シャイニング」で、少年が廊下の向こうに見る双子の少女よりも怖い。
              双子の少女の見せ方、つまりはキューブリックの演出は過剰である。しかし、鏡花は女の童の表情まで書き込まない。
              以为她俩会像京都人偶一样脱颖而出,但她们都是剃得很光的光头。低头看时,散步的那个男人才分辨出是女童。
              当然,是否和男人对上了目光……镜花没有写下去。在我的想象中,她们是无表情的。太恐怖了。比电影《Shinning》中在走廊对面看着的双胞胎女孩还要恐怖。
              库布里克(キューブリック,导演)安排了很多出现双胞胎女孩的演出。但是,镜花甚至不写女童的表情。
              -
              目が合ってしまった女の童二人の感情の揺れ動き、思惑など一切、男には分からない。分からない方が怖い。
              女の表情も書かれない。演じるなら、田中真理さんか、香山美子さんかなあ。
              不知道这个男人有没有没有猜测目光对上时两个女孩的情感波动。不知道就很恐怖。
              女童的表情也不写。如果是演戏的话,我猜是田中真理或香山美子。(搜了下照片还真挺阴森的
              -
              何故、男に見えてしまったのかも一切、不明である。
              だから、魚籠に蛇を生け捕るおじさんも彼が見たとは思わなかった。
              至于为什么男人看见了看起来像是这样的东西,尚不明了。
              因此,阿伯在一条鱼笼中捉蛇时,甚至不认为他看见了。


              IP属地:广东8楼2020-01-22 15:44
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                https://ameblo.jp/mnolupin-0705/entry-12371147793.html
                博客名:鏡花恋情、時々、テネシー・ウィリアムズ、山田太一その他、戯作三昧
                标题:漢(おのこ)が食にし、売りもする蛇とは…
                作者:鏡花狂い
                日期:2018-04-25 17:31:12
                -
                主人公の男と区別して、魚籠(びく)で蛇を生け捕っていた者を“漢(おのこ)” と鏡花は書く。随分と古めかしい。
                为了和主人公这个男人区分开来,镜花把用鱼笼捉蛇的男人写作“汉”。很老套。
                -
                毎日の食にし、売りもする… それが何だか直ぐには分からないから、主人公の男は尋ねる。
                我每天都吃它,然后卖掉……不确切知道它是什么,所以主人公问。
                -
                「聞かん方がええ、魂消るぞ」。
                “我能听到你的声音,你的灵魂将消失。” (这一句哪来的……)
                -
                一体、誰が蛇を食い、買うのか?
                漢は、おそらく、彼方側の際にいる。食うのも買うのも、この世の者ではない。
                到底谁吃和卖蛇?
                汉可能在另一侧。吃和卖都不是这个世界。
                -
                鏡花世界の醍醐味は、ここにある。日常の暮らしの、その直ぐ先に魔界、異界がある。
                突拍子もないキャラクターだの、空想・妄想に付いていけない読み手を一切、無視した、まるで現実感のない、どこかの島だの超絶空間だののお膳立てを必要としない。
                镜花世界的醍醐味,正是这样。在日常生活中,有魔界和异界。
                不需要设置一个疯狂的角色,无需理会那些无法跟上幻想和妄想,没有现实感并且在岛上某个地方拥有超然空间的读者。
                -
                魔界、異界への入り口に立つという点で言えば、「陽炎座」もそうだった。しかし、「陽炎座」では、魔界のその先を尋ねる女に必然がつきまとう。女は既に、操を捨てており、魔界に挑もうとする。そのために、この世での生を失う。
                说到进入魔界和异界的入口,《阳炎座》也是如此。但是,在《阳炎座》中,总会有越过魔界的女子。这位女子已经放弃了控制,并试图挑战魔界。因此,她在这个世界上丧生。
                -
                しかし、本作での主人公は、魔界に偶々、遭遇しただけ、目撃しただけである。
                従って、命を取られることはなかった。しかし、しばらくの間、目を患う。この世での生を全うするなら、あの時、目撃したことは消し去らなければならない。
                但是,本作的主人公是偶然遇到并目睹了魔界。
                因此,他没有被杀。但是,有一段时间,他患有眼睛。如果他想在这个世界充实自己的生活,那就必须抹去当时的目光。
                -
                人が踏み入れてはならない、人の力の全く及ばない禁域は、実はそこかしこにあるのだ。
                それは血をもって封殺され、蹂躙され、闇に葬られた何がしかの、かつて生き、暮らした人々の浄化されない情念かも知れない。
                实际上,在禁止进入的区域,没有人可以进入,谁也没有权力。
                这可能是以前生活的人们的一些纯洁的感觉,但这些生活被鲜血所封杀、蹂躏,并被埋在黑暗中。


                IP属地:广东9楼2020-01-22 15:56
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                  感谢大佬


                  IP属地:浙江来自Android客户端10楼2020-01-23 08:08
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                    感觉和性有关的话如果没历史背景有点扯


                    IP属地:浙江来自Android客户端11楼2020-01-23 08:09
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                      这个贴可以列位精贴


                      来自Android客户端12楼2020-01-23 17:19
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                        让吧主整一整


                        来自Android客户端13楼2020-01-23 17:19
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