1945年(昭和20年)7月——
戦况は悪化を极め、开拓団に入れば军队に取られないと言われていた民间人も军に徴兵され、それぞれの开拓団には多くの女性と子供たちが残されていた。日本军は防卫线を南下させる作戦に方针転换したが、开拓民も一绪に避难を始めれば、作戦がソ连に知られてしまうことを恐れ、彼らには状况を知らせることはしなかった。
8月9日——
広岛に続き长崎にも原子爆弾が落とされたのと同じ日に、ソ连军が国境を越え、満州へ侵攻を开始。开拓民たちは避难を余仪なくされた。
戸田英一(松山ケンイチ)たちが必死でソ连军と戦っている顷、三江省にある静冈村开拓団の水野有希子(二阶堂ふみ)と母・有枝(伊藤かずえ)、弟・胜(二宫辉生)、妹・かよ(矢崎由纱)は着の身着のまま他の村民たちと駅へと急いだ。途中、有希子の生徒・佐竹三郎(加藤清史郎)と再会を果たすが、三郎の母は爆撃で既に命を落としていた。父を兵队に取られ、ひとりぼっちの三郎は有希子たちと行动を共にする。
がしかし、列车は开拓民たちの前を通り过ぎていく。置き去りにされた有希子たちは、満州の首都・新京まで、およそ600キロの道のりを歩くしかなかったが、その道のりは苦难の连続だった。当时、日本人が匪贼と呼んだ现地の人々が袭って来たり、ソ连军の攻撃を受けたり、多くのものが道中で命を落とした……。
8月15日、终戦——
日本は终戦を迎えたが、満州ではなおも戦いが缲り広げられ、爆撃を受け、倒れた英一が左腕の激痛と共に目覚めたとき、あたりには谁もいなかった。それから、やっとの思いで新京の関东军司令部まで辿り着いた英一だが、そこは関东军が去った后で、そこで初めて日本が负けたことを知る。
新京の街を彷徨い、“日本鬼子(リーベンクイズ)”と呼ばれ、満人から殴る蹴るの暴行を受けた英一が再び目覚めたのは、新京の中心地、日本人居住区にある小学校校舎だった。
「満州に行けば土地が手に入る」「豊かな人生が待っている」
王道楽土、梦と憧れを抱いて満州へと渡った日本人たちの末路とは?
そして英一と、子供たちの运命は!?
歴史の中に埋もれていた、败戦后の辛い时代を悬命に生きた日本人の姿が苏る……。